津幡町の紹介
津幡町は石川県のほぼ中央に位置し、古来、加賀国・能登国・越中国(石川県加賀地方・能登地方、富山県)を結ぶ交通の要衝として栄えてきました。
昭和29年3月に旧津幡町、中条村、笠谷村、井上村、英田村が合併して「津幡町」が誕生しました。同年5月に羽咋郡河合谷村を編入合併、10月に森本町浅谷を編入、昭和32年2月には倶利伽羅村を編入合併し、現在の基礎が築かれました。
昭和38年1月に大豪雪、翌年7月に大豪雨に見舞われましたが、先人たちの尽力により復興を果たすとともに、河川改修などの基盤整備も行い、今日の発展につながっております。
昭和38年1月に大豪雪、翌年7月に大豪雨に見舞われましたが、先人たちの尽力により復興を果たすとともに、河川改修などの基盤整備も行い、今日の発展につながっております。
県都・金沢市からは、IRいしかわ鉄道線(旧JR西日本北陸本線)で約10分、車なら国道8号津幡バイパスを利用して約20分で往来可能となっており、ベッドタウンとして急速に人口を増やしてきました。
北陸自動車道・森本ICが津幡バイパス・津幡北バイパス経由で10分足らずという距離にあるため、近年は運送・物流拠点としても注目を集めています。
ー 目次 ー
位置、地勢
津幡町は、金沢市・かほく市・内灘町・宝達志水町・富山県高岡市・小矢部市の4市2町と隣接しています。
町の面積は110.59平方キロメートルで、東部には丘陵が連なり谷間の土地が枝状に発達、西部には幅2・3キロメートルの平坦地が広がり、県内最大の潟である「河北潟」に続いています。
町の中央には本州有数の規模を誇る「石川県森林公園」、西南部に広がる河北潟及び干拓地には日本海側最大級の規模を誇る「石川県津幡漕艇競技場」「ひまわり村」、富山県との県境には木曽義仲が火牛の計を用いたとされる源平倶利伽羅合戦の舞台「倶利伽羅峠」があります。
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主な産業
津幡町の第一次産業の主軸を成すのは稲作です。
近年は営農コストの削減を図るため、生産基盤の整備、大型機械の導入に投資が続けられています。特産品としては、お米のほか、中華料理の食材として知られる「まこもたけ」、ポリフェノールを多く含む「おまん小豆(ヤブツルアズキ)」や「いけなら紫(紫インゲン豆)」などがありますが、それらの食材や加工品は、津幡町を代表する製品「津幡ブランド」として販売されています。
近年は営農コストの削減を図るため、生産基盤の整備、大型機械の導入に投資が続けられています。特産品としては、お米のほか、中華料理の食材として知られる「まこもたけ」、ポリフェノールを多く含む「おまん小豆(ヤブツルアズキ)」や「いけなら紫(紫インゲン豆)」などがありますが、それらの食材や加工品は、津幡町を代表する製品「津幡ブランド」として販売されています。
第二次産業は製造業が多く、杉瀬・竹橋・七野・富田・旭山地内の工業団地において、生産用機械や金属製品、輸送機械、はん用機械、電子機械が多く製造されています。
また、石川県は古くから「繊維王国いしかわ」として知られていますが、津幡町においても繊維業が盛んとなっています。
また、石川県は古くから「繊維王国いしかわ」として知られていますが、津幡町においても繊維業が盛んとなっています。
第三次産業は卸売・小売業、サービス業が主で、郊外型大型店舗のほか、4つの商店街を中心に地域住民のニーズ即した消費の拡大が図られています。
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津幡町章、ロゴマーク
津幡町町章
町名の「ツバ」を飛鳥の形に図案化したもので、町の産業と文化の飛躍的発展を意味します。
大地に足をふまえた姿は町政の安定感を、円形は町民の円満と平和を表現しています。
大地に足をふまえた姿は町政の安定感を、円形は町民の円満と平和を表現しています。
(昭和41年1月11日制定)
ロゴマーク
町のイメージアップを目的に公募したキャッチフレーズ「1・2・SUNつばた」をデザイン化したものです。
全体のイメージは温かくやわらかい表現で、親しみのあるつばたを表現しています。
全体のイメージは温かくやわらかい表現で、親しみのあるつばたを表現しています。
1・2・3と発展していくつばたと、明るくかがやく太陽をオーバーラップさせています。
3本の線は、豊かなつばたの大地に広がる豊富な緑をシンボライズする緑色、光輝くつばたの青空を表現した青色、そして恵まれたつばたの自然から生まれる清らかな水を表す水色で表現されています。
(平成7年4月11日完成)
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津幡町歌
杉本外三 作詞
石本一雄 作曲(昭和43年11月3日制定)
一 河北野は 西にひらけて
みはるかす 稲穂はみのり
北陸路 能登路をむすぶ
美しきみ どりの山野
この 国土 われら うけ継ぎ
かぐわしき 幸を招かん
ああ 津幡町 ひらけ 豊かに
二 水 清く 平和の町に
あたらしき 文化は栄え
人 直く ゆかしき里に
生産の よろこび満つる
この 郷土 われら はぐくみ
躍進の つばさひろげん
ああ 津幡町 永久に はばたけ
三 源平の 火牛をしのぶ
悠遠の とき 世は移れ
不動尊 ここに鎮もり
くりからは 日々を さきほう
この 聖地 われら 守りて
観光の 明日をひらかん
ああ 津幡町 興せ 新たに
関連ファイル
- 津幡町歌.mp3 (3,024.6KB)
- 津幡町歌_歌なし.mp3 (2,997.9KB)
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町民の誓い、平和都市宣言
津幡町民の誓い
わたくしたちは、田園都市津幡町が県の中央に位して交通の要衝にあたり、歴史と伝統に輝く町民としての誇りと責任を自覚し、祖国が生んだ先哲 福沢諭吉先生の遺訓を実践して、郷土の繁栄をねがい、平和と文化の香り高い津幡町を建設することを誓います。
(福沢諭吉訓)
1 世の中で一番楽しく立派な事は一生を貫く仕事を持つことである
1 世の中で一番みじめな事は教養のないことである
1 世の中で一番淋しい事は仕事のないことである
1 世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事である
1 世の中で一番尊い事は人のために奉仕して決して恩に着せないことである
1 世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情を持つことである
1 世の中で一番悲しいことはうそをつく事である
(昭和43年11月3日制定)
津幡町平和都市宣言
平和都市を宣言する決議(平成4年3月18日決議)
私たちは、平和で住みよい町づくりに邁進しながら、町民すべてが恒久平和を願望することを確認する。
しかし、依然として地球上には、地域戦争があり、核兵器を保有する国がある等、状況を憂慮する声が拡がっている。
私たちは、世界で唯一の核兵器の恐ろしさを体験し、戦争の悲惨さが想像を絶するものであることを、よく知っている。
町に子供の笑顔があふれ、職場に働くものの喜びが重なり、お年寄りが風呂で安らぐ――古里津幡に誇りを持っている。
私たちは、自由社会の暮らしを守り、平和理念の達成を願う津幡町民として、すべての国が戦争を放棄し、世界から、核兵器廃絶を実現するよう強く希望する。
限りない平和を希求する町民として、町づくりの基本を平和都市におき、内外に「核兵器廃絶平和都市」を宣言する。
関連ファイル
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津幡町の木、花、鳥
町木「松」
日本を代表する常緑性の高木で、古来より神の宿る神聖な樹木、長寿の象徴として尊ばれています。
町内の至るところに成育しており、公募により町木に選ばれました。
(昭和49年4月24日制定)
町花「つつじ」
常緑または落葉性の低木で、山地に自生し、公園や庭園に広く植栽されています。
町内に生育している紅白のつつじは清楚で美しく、源氏の白旗・平家の赤旗が連想され、倶利伽羅合戦で名高い津幡町にふさわしい花です。公募により町花に選ばれました。
(昭和49年4月24日制定)
▼津幡町では、令和5年3月に完成予定の津幡町住吉公園屋内温水プールの愛称を、つつじの英訳である「アザレア」としました。
町の鳥「ハクチョウ」
渡り鳥で、県内では河北潟、邑知潟に飛来します。清潔で美しく、そのはばたく姿は町章の飛鳥と重なります。
白鳥神社の故事来歴もあり、公募により町の鳥に選ばれました。
(平成2年1月12日制定)
▼津幡町ではハクチョウの姿を矢印に見立てた案内標識を214基設置したほか、平成17年10月に開館した津幡町文化施設の愛称を、はくちょう座の英訳である「シグナス」と名付けました。
また、ハクチョウの飛来しやすい環境を整えるため、農家に協力を求めて指定区域水田の冬期湛水を奨励しています。
また、ハクチョウの飛来しやすい環境を整えるため、農家に協力を求めて指定区域水田の冬期湛水を奨励しています。